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AGENTIC COMMERCE LAB — エージェンティックコマースラボ
時事・分析2026.08.31 公開

最後に残る差別化は人 — NRF APAC 2026 Human Premium Store 編

NRF APAC 2026 を読み解く対談連載の第3回は Human Premium Store。便利さが行き渡るほど、店舗と人の価値は逆説的に高まる — 資生堂・シャトレーゼ・FairPrice の事例から、店舗を「目的地」に変える設計を整理する。

伊藤 輝伊藤 輝株式会社 STRACT / 代表取締役社長・プロダクト責任者XB!f
時事・分析写真: 本ラボ収録

6月にシンガポールで開かれた世界最大級のリテールイベント NRF APAC。現地で見えた5つのトレンドを、コマース領域特化型ベンチャーキャピタル(VC)・New Commerce Ventures の大久保洸平氏と読み解く連載の第3回です。

第1回は消費者接点がエージェンティックコマース(Agentic Commerce)で会話へ移る変化を、第2回は「次の顧客はエージェント」に備えるデータ整備を扱いました。ここまでは一貫してテクノロジーの話です。

今回のトレンド3「Human Premium Store」で、話は反転します。便利さがデジタルで行き渡るほど、リアル店舗と人の価値は逆説的に高まる — AI の連載のただ中に置かれた、人間の回です。

3行まとめTL;DR
  1. NRF APAC 2026 のトレンド3は Human Premium Store。便利さが普及するほど、店舗と人の価値は逆説的に高まる
  2. 合言葉は「テクノロジーは見えなくなり、最後に残る差別化は人」。資生堂は美容部員を店舗の外の接点へ広げる
  3. 店舗は物売りの場所から体験・文化・つながりの目的地へ。AI 時代は在庫を持つ店舗が配送拠点としても効く
対談ゲストGUEST
大久保 洸平
大久保 洸平 Kohei Okubo
New Commerce Ventures 代表パートナー

新卒でヤフーに入社し、ヤフーショッピングの事業開発などを担当。2017 年からはヤフーのスタートアップ投資部門(YJ キャピタル、現 Z Venture Capital)へ。コマース領域の投資に従事する。2022 年、日本で唯一のコマース領域特化型 VC・New Commerce Ventures を創業。本ラボを運営する STRACT の株主でもある。

便利になるほど、人の価値が上がる

まず、AI の話が2回続いた後に「人」が来るという並びの意味から聞きました。

大久保

トレンド1と2は AI やテクノロジーの話でしたが、そういった便利さが発展すればするほど、逆説的に人間とかリアルの価値が高まっていくよね、というのが3つ目の Human Premium Store というトレンドです。

NRF はイベント自体、リテーラーが登壇企業の中心ということもあり、実店舗がどうなっていくのかは非常に大きな関心事です。店舗を物売りの場所から、体験や文化、人と人とのつながりの「目的地」にしていく必要がある。それが全体を一言でまとめた話だと思っています。

対談資料も同じ趣旨を「便利さがデジタルで普及するほど、リアル店舗は目的地化(体験・文化など)が重要に」とまとめ、「行く理由」の設計を店舗投資の KPI に据えるべきだと整理しています。

印象的なセッションの言葉として、大久保氏はこう紹介します。

大久保

「理想的なオムニチャネルとは、オムニでありマルチであることをユーザーが認識しなくなったときだ」という話がありました。お客さんはもうチャネルを区別しません。ネットであろうが店舗であろうが、たまたま見かけたサイネージであろうが、1つのブランドの世界として認知する。

顧客はチャネルを意識しなくなり、テクノロジーは見えなくなる。そして最後に残る差別化は人である。全体を1つにまとめると、そういうキーワードだったと思います。

HUMAN PREMIUM STORE
理想のオムニチャネルへ — 3枚の案内サイン
01顧客はチャネルを意識しなくなるネットも店舗もサイネージも、1つのブランドの世界として認知される
02テクノロジーは見えなくなるAI は裏側で働き、ユーザーに存在を感じさせなくなる
03最後に残る差別化は「人」接客・体験・つながり — 店舗と従業員が競争力の核になる
※ NRF APAC 2026 のセッションで語られた整理(対談での大久保氏の紹介による)
出典: New Commerce Ventures 対談資料(NRF APAC 2026 視察報告・非公開)

この空気は現地レポートとも一致します。NRF 公式ブログの総括は、実店舗を「感情・記憶・情緒的つながりを作る場」と位置づけました。DIGIDAY 日本版のレポートでも、LVMH 幹部の「すべてのカスタマーサービスが AI になるなら、最後まで残る人間のカスタマーサービスは LVMH のものになる」という発言が紹介されています。

土台はユニファイドコマース — データとチャネルの統合

「人が主役」と言っても、精神論ではありません。土台になる考え方として、大久保氏はユニファイドコマース(Unified Commerce)を挙げます。

大久保

データとチャネルを統合することによって、顧客に利便性の高いパーソナライズされた顧客体験を提供する。これを全体としてユニファイドコマースと言っています。

データは商品情報、在庫情報、お客様の情報をしっかり統合する。チャネルは店舗もあれば EC も SNS も外部メディアもある。そのいろいろなタッチポイントで統合的にコミュニケーションを取っていく、統合されたコマースという概念です。その中で店舗という場所にどういう価値があるのか、というのが今回のテーマの位置づけになります。

UNIFIED COMMERCE
ユニファイドコマース — データ×チャネルの統合が店舗体験を支える
DATA — 統合するデータ
商品情報
在庫情報
顧客情報
行動データ
CHANNEL — 統合するチャネル
店舗
EC
SNS
外部メディア
AI が仲立ちし、利便性の高いパーソナライズされた顧客体験へ店舗の価値 = 体験(接客・五感)/ コミュニティ(趣味・地域)/ オンオフ連動
※ 「フルファネルで顧客情報、商品・在庫情報を統合管理することで顧客に最適な体験を提供」(対談資料)を基に構成
出典: New Commerce Ventures 対談資料(NRF APAC 2026 視察報告・非公開)を基に本ラボ作成
伊藤

スマホや SNS での接点、そこでの行動をもとに、実店舗の体験が変わってくるわけですよね。だいぶ SF っぽい世界になってきました。

人が主役の事例 — 資生堂・ラグジュアリー・シャトレーゼ

ここからは登壇事例です。まず、日本企業で最も分かりやすかったという資生堂。登壇者リストには資生堂ジャパン社長・中田幸治氏の名前があります。

大久保

資生堂さんには、ビューティーコンサルタントという美容部員の方が店舗にいらっしゃいます。セッションのキーワードは「オムニビューティーコンサルタント」。彼女たち自体が SNS などで情報発信することによって、店舗の価値、資生堂としての DNA をいろいろなタッチポイントで訴求していく。今までの従業員の価値を、店舗以外のところにも波及させていこうという話です。

裏付けとなる取り組みは国内でも公表されています。資生堂は 2021 年に「オンライン美容部員」を約 40 人で開始しました。店舗勤務経験を持つ自社の従業員が SNS で発信する形で、フォロワーは合計 230 万人超に育っています(DIGIDAY 日本版のレポートによる)。

国内では美容部員の呼称自体を「パーソナルビューティーパートナー(PBP)」に改め、デジタル発信を担う「オムニ PBP」という役割も置いています。

対談資料が記録するセッションの結びは「心に残ったのはテクノロジーではなく、自信を取り戻した人々の笑顔です」。外部のインフルエンサーではなく自社従業員にこだわる点まで含めて、「人」への投資の話でした。

ラグジュアリー勢について、大久保氏は「クワイエットテック」という表現を紹介します。

大久保

LVMH や Kering の事例も印象的で、AI を「クワイエットテック」、静かなるテクノロジーと表現していました。裏側では AI が働いているけれど、ユーザーとのタッチポイントは人がやる。

第2回で話した、予約客にパーソナライズした接客をする話も同じで、極端に言えば入って初日の店員でも同じ接客ができるように、データと AI で「この方は過去にこういう購買をしているから、こういう接客をした方がいい」とレコメンドする。テクノロジーはクワイエットに、裏側にあるべきだという概念です。

DIGIDAY のレポートでも、Kering の登壇者が「ラグジュアリーにおける最良のテクノロジーとは、体験する人が気づかないもの」と語ったことが紹介されており、同じ思想が読み取れます。

高頻度・日常価格帯でも同じ設計は成り立ちます。シンガポールにも展開する菓子チェーンのシャトレーゼです。

大久保

シャトレーゼさんも登壇されていました。決済のタイミングのクレジットカード情報で「この人が買った」という履歴を全店舗で照合して、2回目以降に来店されたら「いつもありがとうございます」とお声がけしているそうです。

顔なじみというのは、ローカルの居酒屋に行っても感じる店舗の体験価値です。それをラグジュアリーではない一般的な価格帯や頻度の店舗でも実現できると、店舗に来る価値はより高まるんじゃないかと思います。

シャトレーゼは 2015 年にシンガポールへ進出(アジア1号店)。現在は国内 895 店舗に加えて海外7市場に 163 店舗、シンガポールでは 37 店舗を展開しています(2026年5月時点、決済プラットフォーム Adyen の発表)。

登壇セッション名は「Breaking the "Payment Wall"」。決済を壁ではなく顧客接点に変える、という文脈そのものです。

伊藤

ユーザーとしても「覚えていてくれよ」と思うことはありますからね。それが当たり前に用意されるなら、それこそスポットワークで初日に入った人でも、いきなりパーソナライズされた接客ができるようになりそうです。

FLOOR GUIDE
「人が主役」の登壇事例 — 館内案内風に整理する
4Fラグジュアリー — クワイエットテック裏側は AI、接点は人。新人店員でも顧客の購買データに基づく接客レコメンド
3F資生堂 — 美容部員を店舗の外の接点へ● 人の価値店舗経験を持つ従業員が SNS で発信。オンライン美容部員のフォロワーは計 230 万人超
2Fシャトレーゼ — 全店舗で「顔なじみ」を再現決済情報で購買履歴を照合し、2回目の来店で「いつもありがとうございます」
※ 階数は整理のための見立て。各事例は NRF APAC 2026 の登壇内容(対談・対談資料・DIGIDAY 日本版レポートによる)。資生堂の SNS 発信の数値は DIGIDAY 日本版レポートに基づく
出典: New Commerce Ventures 対談資料(NRF APAC 2026 視察報告・非公開)ほかを基に本ラボ作成 / ロゴ: 各社公式

場所が主役の事例 — SM と FairPrice

人の接客だけでなく、「場所」そのものの目的地化も語られました。フィリピン国内に 89 のモールを展開する SM Supermalls です(NRF 公式アジェンダによる。親会社の SM グループ全体では海外も含め 100 を超える)。

Steven Tan 社長のセッションのタイトルは「Why Physical Retail is Winning Again(なぜ実店舗は再び勝ち始めたのか)」でした。

大久保

SM のセッションでは、来店動機を「トライブ(部族)」と表現していました。商業施設の空きスペースで、ペット愛好家やオタク向けに特化したイベントをたくさんやることによって、セグメントされたお客様それぞれに「来る理由」を作る。

印象的だったのは「マクドナルドはどこの商業施設にもある」という前提の置き方です。同じものはどこでも買える。その上で、なぜこの場所に来てもらえるのかという理由作りの重要性が高まっている、という話です。

伊藤

オンラインのデータをちゃんと持っていれば、それをもとにオフラインで一人ひとりに合わせた接客もできるし、インセンティブも作れる。O2O(オンラインの行動を実店舗への来店につなげる施策)のような動きは、AI 時代にむしろ増えていくんでしょうね。

シンガポール最大の小売事業者、FairPrice Group の事例は、顧客体験と業務の両面です。

大久保

FairPrice はスマートカートや生体認証決済のような顧客体験向上の AI と、店舗スタッフ向けの効率化の双方をやっています。ユーザー体験とワークフロー自動化の両面ですね。

エージェンティックコマース時代になると、逆にローカルの在庫情報があるからこそ、店舗がフルフィルメントセンター(出荷拠点)になってすぐに配送できる。EC サイトだけでなく店舗を持っていることが、優位性になっていくんじゃないかという話は印象的でした。

FairPrice は 2025 年から「Store of Tomorrow」と銘打った店舗テックの検証を進めています。スマートカートの試験導入や、手のひらをかざす生体認証決済の段階導入が報じられており、NRF APAC 2026 には Vipul Chawla グループ CEO らが登壇しました。

技術的含意: 店舗は「有限性」で戦うインフラになる

対談を踏まえた本ラボの整理です。

第一に、このトレンドは AI の否定ではなく、AI の使い道の再配置です。資生堂もラグジュアリーもシャトレーゼも、裏側ではデータの統合を土台にしています。変わるのは見せ方で、テクノロジーを顧客に見せず、人と場所の体験に変換して届ける。第2回で扱ったデータ整備は、この「見えない裏側」の前提条件でもあります。

第二に、大久保氏の「有限性」の視点は、エージェント時代の店舗の再定義として重要です。

大久保

AI×EC でオンラインに閉じると、無限の世界なんですよね。商品はいろいろなところから仕入れられて、OEM でも作れて、商品画像や説明文も AI でほぼ無限に作れる。そうなったときに、有限性をどこに持つかの価値がどんどん高まっていく。

店舗という有限のスペースで、しっかりとお客様と定期的にコミュニケーションが取れる。その価値は、エージェンティックコマース時代だからこそ高まっていくと思いながら聞いていました。

AI が商品情報を無限に複製できる時代に、複製できないのは立地・在庫・人の接点です。FairPrice の「店舗 = 出荷拠点」論はその実利面、SM のトライブ論は感情面と言えます。

第三に、日本への示唆です。経済産業省の令和6年度調査によれば、日本の物販系 BtoC の EC 化率は 9.78%(2024年)です。

伊藤

日本は EC 化率がまだ1割に届いていなくて、9割がオフラインですからね。オフラインを活かした方が、実はインパクトが大きい。

大久保

スタートアップの成長戦略としても、オンラインだけで閉じるのではなく、9割の購買に対してどう携わっていくのか。消費者全体の購買行動の課題解決としては、より大きな課題を解決できる。重要なテーマだと思います。

次回のトレンド4は「Culture & IP Commerce」。機能で選ばれない時代に、文化とストーリーがどう「買う理由」を作るのかを読み解きます。

執筆後記WRITER'S NOTE
伊藤 輝

ユーザーとしては、これだけオンラインに自分の情報を置いているのだから「お店でも分かってくれよ」という期待が既にあります。店舗側がそこに追いつけば、世の中は一気に良くなる — 対談で話したこの感覚が、この回の結論だと思っています。

日本は9割の買い物がまだオフラインです。AI の話を2回した後だからこそ、実務へのインパクトはこの回が一番大きいかもしれません。

伊藤 輝 — 全記事に執筆後記を掲載しています(編集方針)
出典・参照SOURCES
伊藤 輝
伊藤 輝 Hikaru Ito
株式会社 STRACT / 代表取締役社長・プロダクト責任者

生粋の Web プログラマ(TypeScript)。Agentic Commerce ドメインの担当として本ラボの技術企画を統括し、基準点コンテンツと速報を担当する。

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