機能ではなく「好き」で買う — NRF APAC 2026 Culture & IP Commerce 編
NRF APAC 2026 対談連載の第4回は Culture & IP Commerce。商品があふれる時代、購買を決めるのは文化的つながり・ストーリー・共感 — Fanatics の経済圏から Netflix の Reebok 再建まで、「買う理由」の作り方を読み解く。
時事・分析写真: 本ラボ収録6月にシンガポールで開かれた NRF APAC 2026 の5つのトレンドを、コマース領域特化型 VC・New Commerce Ventures の大久保洸平氏と読み解く連載の第4回です。
第3回は、便利さが行き渡るほど店舗と人の価値が高まるという Human Premium Store を扱いました。今回はその続き、トレンド4「Culture & IP Commerce」です。
AI で買い物が便利になった先に、人は何を基準に商品を選ぶのか。答えとして語られたのが、文化・IP(知的財産 — キャラクターやブランドなどの資産)・コミュニティ、つまり「好き」の力です。
- トレンド4は Culture & IP。もの余りの時代は、機能ではなく情緒的価値・ストーリー・共感が購買を決める
- Fanatics はスポーツの「好き」を軸に EC・トレカ・ベッティング・クレカへ縦展開。ファン経済圏で単価を深掘る
- Reebok 再建を Netflix の番組で見せる ABG。物語の内製化は LVMH・Kering にも広がる

新卒でヤフーに入社し、ヤフーショッピングの事業開発などを担当。2017 年からはヤフーのスタートアップ投資部門(YJ キャピタル、現 Z Venture Capital)へ。コマース領域の投資に従事する。2022 年、日本で唯一のコマース領域特化型 VC・New Commerce Ventures を創業。本ラボを運営する STRACT の株主でもある。
機能的価値から情緒的価値へ
まず、トレンド4の位置づけです。
利便性が上がっていく中で、機能的価値ではなく情緒的価値 — 日本で言うと推し活はまさにそうだと思いますが — そういった価値を、商品を販売する際に自然に取り入れていく重要性が高まっています、という話です。
いい商品があふれ返っている「ものあまり時代」なので、同じような商品があったときに、機能的価値よりもストーリー、文化的つながり、共感といったキーワードが購買の意思決定において重要になっていく、と。
対談資料のまとめの言葉では「商品が溢れる時代において、"文化的繋がり"、"ストーリー"、"共感"が価値に」。第1回で扱ったエージェンティックコマースの整理に、もう1つの軸が加わる形です。
第1回では、エージェンティックコマースには「お任せ」のエージェントと「相談」のコンシェルジュの2つの概念があるという話をしました。実際の意思決定にはそこに、好きとか共感みたいなエモの部分も関わってきます。
AI とは直接関係ないものの、購買する人の動機と、そこに事業会社がどう取り組んでいるのかという意味で、今回紹介させていただきます。
ファン経済圏を縦に掘る — Fanatics
事例の1つ目は、スポーツグッズの巨人 Fanatics(ファナティクス)です。NRF には毎年1月にニューヨークで開かれる本会(Retail's Big Show)があり、APAC 版はその地域版にあたります。1月の本会に、創業者 Michael Rubin 氏が登壇しました。
Fanatics はメジャーリーグのようなプロスポーツの物販事業を、ライセンスを受けて製造から全部やっている会社です。売上は 130 億ドル、日本円で2兆円くらいの規模になっています。
もともとは EC から始まった会社ですが、スポーツの「好き」を軸にして、トレーディングカード事業、ベッティング(スポーツ賭博)事業と展開して、直近ではスポーツファン向けのクレジットカードもやっていく。ファンの経済圏を縦に深掘っていくわけです。
Fanatics は非上場のため、確定した決算開示はありません。ただ Rubin 氏自身が米 CNBC に語ったところでは、売上は 2024 年の約 80 億ドルから 2026 年に 140 億ドル近くへ伸びる見込みで、対談の「130 億ドル」はこの水準と重なります。
クレジットカードは、1月の登壇の後に具体化しています。5月20日に American Express との提携カードを発表し、発行は 2026 年後半の予定。還元はグッズやチケットに使える独自のリワード通貨「FanCash」です。
なぜ「縦」に掘るのでしょうか。大久保氏は人数×単価の構造で説明します。
機能的価値の優先順位が下がっていくと、みんなが同じものを欲しがるのではなく、「自分にとって一番いいもの」が人それぞれになっていく。市場はどうしてもセグメンテーションされていきます。
そうすると、そのセグメントの中で LTV(顧客生涯価値)を高めていくことが経営上重要になる。多様性があふれる時代だからこそ、人数は割れる。だから単価をどう上げるかで、スポーツファンに対して EC をやって、トレカをやって、ベッティングをやって、クレカをやる、という縦掘りです。
日本のプロ野球でも Fanatics がグッズを手がけていますよね。グッズのクオリティも売り場の作り方もすごく計算されていて、収益としても相当大きいはずです。
日本法人のファナティクス・ジャパンは 2018 年設立。同社の 2026 年7月のリリースによれば、現在プロ野球4球団、J リーグ7クラブ、B リーグ4クラブのパートナーとしてユニフォームやグッズを手がけています。
EC だけでなく物販の店舗も運営しているので、リテール事業をまるっとやる。ファンコミュニティを活用した事例として面白いですし、キーワードは熱量ですね。パッションコマース — すみません、造語なんですが、何か1つ定着すればと思って。
眠っていたブランドを物語で起こす — Authentic Brands Group
2つ目の事例は、ニューヨークに本社を置く Authentic Brands Group(ABG、2010年設立)です。大久保氏によれば、NRF APAC には昨年に続いての登壇でした。
特徴は「壊れたビジネスモデルを持つ、確立されたブランド」を買うことです。Forever 21 もそうですし、Champion や Reebok のような、いいアセットを持っているのにビジネスとしては失敗してしまったかもしれないブランド。
歴史はお金で買えないじゃないですか。Champion にも Reebok にも、その時代その時代で熱狂的なファンがいたはずで、そこを買ってビジネスを再生することで、昔からのファンの思いをビジネスに昇華していく。彼ら自身は在庫を持たず、地域ごとにライセンスをするアセットライトな形で、グローバルのマーケティングやクリエイティブを中心にやっています。
事実関係を補います。ABG は Reebok を 2021年に adidas から最大 21 億ユーロで買収すると発表(2022年3月完了)。Champion は 2024年に HanesBrands から買収しました。
ABG 全体の規模は「世界での年間小売売上 320 億ドル超」(約5兆円)と公表されています。対談資料によれば従業員は約 540 人。ブランドは持つが在庫と店舗運営は持たない体制で、創業者 Jamie Salter 氏はセッションで利益率 65% と、「年間小売売上を5年で 1,000 億ドルに」という目標に言及しました。
この「再生の物語」を、ABG は文字通り物語として売っています。バスケットボールの伝説的選手シャキール・オニール氏による Reebok 再建を追った Netflix の番組「Power Moves with Shaquille O'Neal」です。
オニール氏は 2023 年から Reebok のバスケットボール部門プレジデントを務めています。番組は全6話で、2025 年6月に配信が始まりました。
番組を見ている人からすると、そのプロセスも含めて「こんなふうに Reebok を再生しているんだ」という愛着が生まれます。物を売っているんだけれど、ストーリーテリング自体に共感してもらう。ナイキもプーマもアディダスもある中で「いや、Reebok だよね。こういうストーリーで再出発したんだから」となる。ブランドにストーリーテリングを付与して、情緒的価値を増やしていくわけです。
(2020年買収)
(2024年買収)
(2021年発表・2022年買収)
物語の内製化 — LVMH・Kering からゲーム発ブランドまで
ストーリーテリングを外注ではなく「内製」する動きは、ラグジュアリーの本丸にも広がっています。
調べてみたら、LVMH も 2024 年にコンテンツ制作の子会社を立ち上げていて、Amazon Prime Video ではブルガリに関する映画も公開されています。それから、グッチを擁する Kering の親会社にあたる投資会社が、世界最大と言われるタレント・スポーツエージェンシーの CAA を買収したり。
ストーリーテリングによってブランド自体の価値を高めていく。単に高価で機能性が高いものとしてではなく、さらに付加価値を高めていく。そのストーリーテリング力を内製化していくのは、大きくて面白いトレンドだと思っています。
順に確認します。LVMH は 2024 年2月、米国のコンテンツ会社と組んで映像制作会社 22 Montaigne Entertainment を設立。ブルガリでは、ローマのホテル開業を追ったドキュメンタリー映画が 2024 年6月から Amazon Prime Video で配信されています。
CAA の買収主体は、正確には Kering 創業家・ピノー家の投資会社 Artémis です。2023年9月に発表された取引で過半数株式を取得しました(企業価値 70 億ドル)。
その CAA 自身も NRF APAC に登壇しています。セッション名は「From Lady Gaga to Shohei Ohtani」。セレブリティと文化を介した小売の成長を、大谷翔平選手の名前を冠して語る回でした。
Netflix の番組にして伝えるのは大胆ですけど、面白いアプローチですよね。今なら TikTok やショートドラマのような小さい器からストーリーを作っていって、「実はこの感動するドラマ、LVMH がやっていて最終的にブランドにつながる」みたいな仕掛けもできそうです。
新しいチャネルは、新しいブランドの産地にもなります。
アメリカだと「TikTok 発ブランド」が結構出ていて、新しいチャネルができると、そのチャネルに合わせた商品開発が生まれます。去年のニューヨークのセッションでは Roblox(ロブロックス — 世界最大級のゲームプラットフォーム)の話がありました。ゲーム空間から生まれる「Roblox 発ブランド」が次の注目テーマで、ゲームの中のデジタルグッズをリアルグッズにする。フィジカルとデジタルを重ねる「フィジタル」戦略というキーワードです。
ゲームという、普段の買い物とは違うところで生まれた好きや愛着を「せっかくならそのものを買おう」につなげる。店舗や EC ではない、可処分時間の大きいタッチポイントで愛着を育んで物販につなげるのが、トレンド4の全体感です。
規模感を補うと、対談資料が引く推計では TikTok Shop の米国 GMV(流通総額)は 2023 年の 15 億ドルから 2025 年に 158 億ドルへ急拡大。Roblox は 2026年4〜6月期の決算で1日あたりアクティブユーザー(DAU)が1億2,300万人です。
TikTok Shop では、米国のビューティー売上上位に食い込む新興ブランドの事例も報じられ始めています。
技術的含意: AI が「何を買うか」を決めるほど、「なぜ買うか」が残る
対談を踏まえた本ラボの整理です。
第一に、このトレンドは AI と無関係に見えて、エージェンティックコマースの裏面です。第1回で見た通り、ロジックで決まる買い物は AI への委任が進みます。委任しきれずに残るのが「好き」の領域で、ここでは選ばれる理由、つまりストーリーが最後の変数になります。
第二に、情緒的価値の生産は、代理店任せから内製・買収へ移り始めました。ABG のライセンスモデルも、LVMH のコンテンツ子会社も、ピノー家の CAA 買収も、物語を作る能力そのものを資産として抱え込む動きです。
戦略が深くなってくると、代理店やコンサルのような支援側にも新しい仕事が生まれそうですね。ストーリーテリング会社というか。
投資テーマとしても、ブランドを買っていい形に育てるロールアップ型のスタートアップが、E コマースの領域でも増えています。在庫や仕入れといった再現性のある売り方のノウハウに加えて、リブランディング — 情緒的価値をどう作るか自体もサイエンスされてくると思うと、そういう支援の仕方で EC を伸ばしていくテーマは面白い切り口だと思いますね。
第三に、AI エージェント自身も「キャラクター」になり得ます。無機質な自動化の窓口ではなく、愛着を持てる人格を持ったコンシェルジュとして設計されるなら、情緒的価値は AI の会話接点の中にも入り込みます。エージェントが台頭するほど人間味が注目されるという逆説は、ここでもつながります。
次回は最終回、トレンド5「Commerce Media & Monetization」。小売が持つ接点とデータをお金に変える、マネタイズの多様化を読み解きます。
先日、ロールアップを手がける会社に伺う機会がありました。地方の質のいいメーカーを買い取り、EC で売れる形に磨き直す。対談で語られた「情緒的価値のサイエンス化」が、日本でももう始まっていると実感します。
Netflix の番組でブランド再建を見せるという大胆さも含めて、AI とは別の場所でコマースはどんどん進化している。その両方を追うのがこのラボの仕事だと思っています。
NRF Retail's Big Show APAC (NRF 公式サイト)nrfbigshowapac.nrf.com
4 essential takeaways from NRF 2026: Retail's Big Show Asia Pacific (NRF 公式ブログ)nrf.com
Fanatics (公式サイト)fanaticsinc.com
Fanatics strikes credit card deal with American Express (CNBC)cnbc.com
ファナティクス・ジャパン プレスリリース(2026年7月・PR TIMES)prtimes.jp
adidas to sell Reebok to Authentic Brands Group (adidas 公式)adidas-group.com
Authentic Acquires Champion, Unveils New Partners (Authentic Brands Group 公式)corporate.authentic.com
Shaquille O'Neal's Netflix Docuseries 'Power Moves' Chronicling Reebok Comeback Story (Deadline)deadline.com
Luxury Powerhouse LVMH Moves Further Into Entertainment With 22 Montaigne (The Hollywood Reporter)hollywoodreporter.com
Priyanka Chopra Jonas, Italian Craftsmanship Star in Bulgari Docufilm (WWD)wwd.com
CAA Sells Majority Stake to François-Henri Pinault's Artémis (Variety)variety.com
Roblox Reports Second Quarter 2026 Financial Results (Roblox IR)ir.roblox.com
On TikTok Shop, a Brand for the Looksmaxxers Emerges (WWD)wwd.com
New Commerce Ventures (公式サイト)newcommerce.ventures

生粋の Web プログラマ(TypeScript)。Agentic Commerce ドメインの担当として本ラボの技術企画を統括し、基準点コンテンツと速報を担当する。
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